沿 革
現在浅利演出事務所が本拠地とする代々木アトリエは、1965年に劇団四季が初めて手に入れた稽古場です。
それまで幼稚園やバレエ団のスタジオ等あちこちの施設を借りながら稽古をしていた劇団員たちは、「芝居作りは稽古場から始まる」そんな思いで、公演活動で得た報酬や出演料から資金を出し合って参宮橋に土地を購入し、自前の稽古場を獲得しました。「代々木アトリエ」は、言わば当時の劇団員たちの汗の結晶であり、ここから浅利慶太演出による数々の名作が生まれました。
その後、劇団四季の代表であった浅利は、劇団活動の他にオペラの演出や長野冬季オリンピック等の国際的な仕事も多くなったため、個人としての仕事を行う折の本拠として、1985年5月30日、代々木アトリエ内に「株式会社浅利演出事務所」を設立しました。
2014年に長年務めていた劇団四季の代表を退いた際、芝居作りに専念するため、浅利は代々木アトリエを買い取り、活動拠点にしました。
2015年4月『オンディーヌ』の公演を皮切りに、プロデュース公演をスタートし、オーディションで新しい才能、若い俳優を発掘しながら、良質なストレートプレイやオリジナルミュージカルを積極的に上演。
2018年7月13日に浅利慶太が亡くなった後は、野村玲子がそのバトンを受け継ぎ事務所の代表となりました。現在は浅利演出作品の継承と、浅利が構築したメソッド(母音法、呼吸法、フレージング法)のレッスンを行うなど後進の育成に努めています。
それまで幼稚園やバレエ団のスタジオ等あちこちの施設を借りながら稽古をしていた劇団員たちは、「芝居作りは稽古場から始まる」そんな思いで、公演活動で得た報酬や出演料から資金を出し合って参宮橋に土地を購入し、自前の稽古場を獲得しました。「代々木アトリエ」は、言わば当時の劇団員たちの汗の結晶であり、ここから浅利慶太演出による数々の名作が生まれました。
その後、劇団四季の代表であった浅利は、劇団活動の他にオペラの演出や長野冬季オリンピック等の国際的な仕事も多くなったため、個人としての仕事を行う折の本拠として、1985年5月30日、代々木アトリエ内に「株式会社浅利演出事務所」を設立しました。
2014年に長年務めていた劇団四季の代表を退いた際、芝居作りに専念するため、浅利は代々木アトリエを買い取り、活動拠点にしました。
2015年4月『オンディーヌ』の公演を皮切りに、プロデュース公演をスタートし、オーディションで新しい才能、若い俳優を発掘しながら、良質なストレートプレイやオリジナルミュージカルを積極的に上演。
2018年7月13日に浅利慶太が亡くなった後は、野村玲子がそのバトンを受け継ぎ事務所の代表となりました。現在は浅利演出作品の継承と、浅利が構築したメソッド(母音法、呼吸法、フレージング法)のレッスンを行うなど後進の育成に努めています。